「バガヴァット・ギーター」上村勝彦・訳
なんかわけのわからない題名だが、この本は先日の『「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー 著』
の中で、霊界を知るための栄養になるものとして、カトリックの福音書とこの名前が挙げられていたので、早速Amazonで検索すると、こちらの方が安かったのでこちらを取り寄せた。
で、どうもこの本、ヒンドゥ教の聖典で、その中の一部分だけ取り出された物らしい・・・
いつごろ出来たものか?
調べたが判らなかった。
まず本を開くと「まえがき」があり、このタイトル部分に至るストーリーが書かれているのだが、何やら王様の名前や妃の名前、王子の名前など何人も出てくるので、ちょうど古事記ーや日本書紀に出てくる神々の名前のように、私にはもうそれだけで、拒否反応が起きてしまった。
で、その部分を飛ばして、読みだしたのだが、なぜこれが聖典と言われるのがさっぱりわからない・・・
死者の書も頭がウニ状態になったが、これも似たようなものである。
で、諦めて本を閉じたのだが、せめて何が書かれているのか?要約だけでも知りたいとネットで検索したのだが、イマイチよくわからない・・・
しかしYouTubeを検索すると、ずいぶんと動画がアップされていた。
その中で『バガヴァッド・ギータ 1章:Bhagavad gita 1』と、言うのをクリックした。
始まると、どうも朗読らしい・・・
第1章から順番に繋がって聞くことができるのだが、終わるまで数時間かかった。
最初の部分を聴いていて、どうも哲学的な話の様であるが、やけに遠回しの抽象的な話で、聴いていてもぼんやりとニュアンスはつかめるモノの、納得できるほどでもなく、途中何度も居眠りをしながらとりあえず最後まで全部聞いた。
どうも朗読しているものは素人の様で、しかも20代前半くらいの声であるが、しかし落ち着いて読んでおり、聴きやすかったのだが、多分それを勉強している学生ではないだろうか?
後半の終わりの数章は割と判りやすい話が続いたが、要は「哲学」なんだろうなぁ・・・
なんか屁理屈をこねているようにしか思えないのだが、長々と語っている内容は早い話が「神」を信じることや「心の安らぎ」を得るための屁理屈がグダグダと並べてあるように思った。
この聖典がいつごろのものかわからないが、高橋信次の「人間釈迦」のシリーズを読むと、当時の僧がいかに理屈だけで、行動が伴わなかったが書かれているが、この聖典など、頭で理解したところで、果たして本当に「神」に繋がれるのか?また理屈ばかりで理解してもそれは「宗教」とは言えたとしても、本来の「信仰心」を持っているとは言い難いのが判る。
それは現代の日本の仏教や神道にも言えるのではないだろうか?
大学で歴史や経をいくら研究しても、本人に「信仰心」の無い人がとても多いと、古神道の人は嘆く。
で、要は本当に霊界ではこんなものが役に立つのか?
疑問を感じるし、もしこんなものが役立つようなところが霊界だとしたら・・・・
私は関わりたくないと思う。
(資)文化財復元センター おおくま