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「ゆるす愛 ゆるさける愛」鈴木秀子・著
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先日宗教と信仰の違いについて、Amazonのレビューに書かれたいたことを紹介したが、この本はそれが書かれた本だったので、追加で購入した。
 
私は自分の性格を他の人よりは「客観的」に観れていると思うのだが、その中で私はどうしても完全主義的なところが強く、自分では最大限の努力をするものだから、どうしても他人の努力が自分と比べて足らないと思いがちである。
 
それは、「なぜもっと頑張らないのか?」「やれば出来るのに・・・・」と思ってしまう。
 
そして、自分に厳しいところもあり、自分でやってはいけない事などを自制している面があり、例えば古いギャグに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言うのがあるが、私はなかなかそれができない。
 
それはみんなで渡れば・・・と言うより、例え一人だけで、だれも見ておらず、車が来ていないことを確認したうえでも、それでもなかなか足が前に出ない。
つまり、他人が見ていようがいまいが、「」が見ているわけだから、その自分に嘘がつけない性分だったりする。
 
とはいっても、融通が全く聞かないわけではなく、その場の状況に応じては「臨機応変」に対応することもある。
 

 
と、話が少しそれたが、自分を許せない面もあり、また他人を許せない面も確かにある。
いゃ、最近は精神世界の本をずいぶん読んでいるものだから、それが良くないことも十分わかっているし、昔に比べれば、自分にも優しく、そして他人にも優しくなったとは思う。
 
しかしながら「許すとは??」と、どうしても頭で考えて、納得がいかないと気が済まない性分でもあり、できることならちゃんと「納得」できる答えがほしいと思っているものだから、この本を買った。
 
 
で、読んでみたのだが、今朝ブログで書いたように「魂のコード」と対極にあるような読みやすい文章である。
 
そして、ページ数も少なく、しかも文字も大きく、行間も空いている・・・
 
さらに、小さい話をいくつも並べて、自分に優しくすること、他人を許すことの具体例のようなものが並ぶ。
 
 
 
もし私が今、自分の事で悩んでいたり、他人に憤りを覚えているときだったら、この本を読めば、心が落ち着き、安らぎを得られたであろうと思う。
 
しかし、実は今私は自分を許すことや他人を許さなければならないと言う、せっぱつまった状況ではない。
 
ただ「許す」ということはどういうことなのか?ということを知りたいと思うだけで、現実の私は今、とても安らいだ気持なのであり、そういう意味において、若干物足りなさを覚えてしまった。
 
ただこの本の中に「自分の名前は好きですか?」と言う話が合ったのだが、実は私も子供の頃は「剛由」という名前が好きではなかった。
例えば一郎とか太郎とかいう、一目でわかるような名前に憧れた。
 
しかし大人になってからは、逆に「剛由」と言う名前に自分らしさを覚え、気に入っている。
 
私には二人の息子が居て、その名前は私が姓名判断の本を読み、自分で考えた。
 
長男は「匠(たくみ)」次男は「磨(おさむ)」と言う一字であるが、私が名前に込めた通り、いい子に育ったようである。
 
(資)文化財復元センター  おおくま
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