「スーフィーの賢者ルーミー”その友”に出会う旅」エハン・デラヴィ著 第2部
鳥たちの旅は終わった・・・・
しかし、著書は終わっていなかった。
「第2部」の幕が開いた・・・・
それはルーミーの詩を挟みながら、今度は我々の「魂の旅立ち」であった。
私はここ2年ほど「神」とは何ぞや??と、ずっと探してきた。
そして古神道からスピリチュアル系に至る、いろんなジャンルの本を読み、その都度、「その時」はこれぞ私の求めたものと思えたのだが、すぐにまたその矛盾に気が付いた。
そして次から次へと本を読み漁った。
元来、私は本を読まない。
それは「自問自答」することで、多くの答えを得てきた。
そこから学んだことは「知識」より「智慧」、そして「思考」することこそ価値があると判った。
だからそれ以後、あまり本を読まなくなったし、「知識」には興味を持たなくなった。
たぶん30代に入ってからだと思う。
それから30年、技術書の類には目を通すが、哲学や宗教関係の書物は目にしていない。
なのに、60歳を超えてから、読み漁り、知識としてより「智慧」として多くを得た。
たぶん1年半ほどの間に50冊くらいは読んだと思う。
しかしその後この半年の間に、さらに50冊くらいは読んだ。
私は長い間、神からと思われる試練の中に居た。
それもちょうどお盆の時期、その試練の答えがわかった。
そして、一時的に少しだけ解放された。
その試練の答えをずっと探していたとき、自分の霊的成長を求められていることに気が付いていたのだが、しかしどうすれば「波動」をあげられるのか?
随分と探したが、良い方法は得られなかった。
そのお盆を前に、やっと自分の「守護霊」と意思疎通ができることに気が付いた。
そしていくつもの問いを出すと、その都度「閃き」となって返ってきた。
そう、「ことば」を求めても、それは夢の中にも現れず、閃きやイメージとして私に伝えられた。
そう、その証拠もなければ、確信も持てない。
しかしそう「感じた」のである。
大事なことは「感じること」、つまり「直感」を得た。
そして、試練の答えは「信じること」だと判った。
その答えに絶対に間違いはない、確信している。
試練はそれで終わったと思った・・・
しかし、そうではなかった。
どうもまだ続きがあるようである。
私には「まだまだ波動の上げ方がたらん」と神様から文句を言われているようである。
そして、今度守護霊から導かれたのが「エハン・デラヴィ」氏であった。
それはfacebookである人がリンクを貼っていた「聖なる国、日本」だった。
私はその本と「神道よ!今こそ《古来の本物の道》に戻るのだ!」を取り寄せた。
そのエハン・デラヴィ氏の日本文化に対する洞察の深さに驚いた。
そして「エハン塾」の動画を最初からすべて目を通した。
実にすばらしい洞察力、知識の幅の広さ、大いに学ぶべきものがあった。
それから、彼の著書をずいぶん買い込み、次から次に読み、そして紹介した。
ブログを見ると、私は熱心な「エハン教」の盲信者だと醒めた目で見られたであろう。
しかし、私はいたって冷静に見ている、彼を・・・
先日、「小さな親切」と「大きなお世話」と何が違うか?という話をした。
中身は同じでも、「受け取り方」が違うと、その意味は180度変わってしまう。
同じように、他人や出来事から「学ぶ気」があれば、それは「自分の糧」となる。
しかし、悲しいかな多くの人はその学ぶ気を持たない・・・・
とてももったいないと私は思う。
よく「反面教師」と言う言葉も使う。
これもどんなことだって、自分の「受け取り方」でプラスにできる。
だから、私はエハン・デラヴィ氏から多くのことを学べる。
自分に学ぶ気があるから・・・・
話をこの本に戻すと、この第2部は、鳥の比喩としての探求の旅からさらに高みを目指す、「人としての旅立ちの薦め」だと思う。
自分の受け取り方次第で、どれだけの波動を上げられるか?
まさに自分次第だと思う。
私を彼の存在に導いてくれた守護霊に感謝し、そして私にさらなる悟りへ誘ってくれた「神」に心から感謝します。
また、彼の著書と関連する本を注文してしまった・・・
この際、学べるだけ学び、波動をあげられるだけ上げることに努力することにした。
(資)文化財復元センター おおくま